F-4 Page
-V
F-4E  57TWW
ネリス空軍基地をベースに F-4をはじめ F-5/F-111/A-10など多くの機材を用いて 訓練にあたっていた部隊である。有名な”レッドフラッグ”演習の主役/脇役をこなすベテランぞろいの部隊でもあった。 F-4Eは、1971年から1985年までの約15年間も使われたが、それまでは F-4/DなどあらゆるF-4のタイプを使用していたらしい。下写真で お分かりの通り 1970年代末期には、オーバーラル・カモフラージュなど 新迷彩も登場し同一部隊でも様々な塗装が存在して 写真を撮る上でも楽しかった。
ジョージ空軍基地所属だった561戦術戦闘飛行隊所属のF-4E ゴーストグレーに統一された頃の写真であるが この頃 ジョージ空軍基地は同じ35TFWで”GA”と”WW”の2つのテールコードを持つ異色の部隊であった。
第57戦闘機訓練航空団(57TTW)は、その前身である4525FWW時代に TAC(戦術空軍)として始めてDACT(異機種空中戦闘訓練)を行った。これは1967年のことであるが、当時TACは余りDACTに興味を持たず実験的な要素が強かったと言われる。むしろ 海軍やADCOMの方が積極的であったそうだが ベトナム戦での撃墜率のアベレージが、朝鮮戦争の16:1から ベトナム戦での最悪時期には敵との撃墜/被撃墜率が殆どイーブンにまでなったことから 危機感を募らせた空軍が ネバタ州のネリス空軍基地に アメリカ海軍の”TOP-GUN”を参考に専門部隊を1972年10月に設立したものである。当初はT-38を中心に使用していたが、F-5EやF-4Eなど様々な機体が加わるようになった。
昔 見た「レッドフラッグ 極限の空中戦」とか言う映画の中で 主役を演じていた機体が「WA」のF-4Eだった。ベトナム空戦を経験した事もある主人公は、部隊の僚友と共に何週間かのレッドフラッグ参加の為ネリスを訪れた。宿は、彼の妻それに新婚の同僚夫婦と共にラスヴェガスに取り 夫達だけがネリス基地通いであった。ある日、ラスベガスのレストランで ばったり出会ったのはライバルでもあり ベトナム戦のエースでもあった旧友、彼はレッドフラッグの敵役を演じるF-5Eのリーダーを務めていたのだ。主人公は、自分の腕のよさを鼻にかける旧友に反感を持ちながらも ひたすら敵機が後ろについた時の回避方法を研究し 次第に空戦技術を磨いていった。ある日、主人公は新しく組んだ若いバックシーターと 旧友のF-5Eを模擬撃墜するが 若いバックシーターがそれを鼻にかけて旧友を刺激した為 諍いとなる。後日これが原因で 熱くなった旧友は、主人公の編み出した回避動作に追随できず地上に激突殉職してしまう。空戦技術ばかりに囚われていた主人公は、旧友を失ったショックから転職も考えるが 考えたあげく 若いパイロットの育成のために レッドフラッグ教官の辞令を受け取ると言ったストーリーであった。主人公が乗っていたのが「WA」のF-4Eで かじりついてこの映画見た記憶がある。
右のインシグニアは、見覚えがあるはずです。そうです!現三沢のF-16部隊ですね・・・この部隊 ベトナム戦の頃から活躍が注目されていた部隊で 初めてワイルド・ウィーゼルを割り当てられた部隊である。カルフォルニア州ジョージ空軍基地に本拠地を置き 1980年前後は、F-105GとF-4Eを併用していた。1970年代後半は3個飛行隊がF-105を使用 後にF-4Gの配備を受ける事になるが テールレターを”GA”と”WW”の2種類を使用した変り種の航空団であった。後に全て”WW”に統一した。35TFWは、1991年に35FWに改称されたが 1993年ジョージ空軍基地の閉鎖と共に その役割をアイダホ州空軍に譲り解体された。三沢で復活したのは、ずっと後の事である。
F-4E  35TFW
上写真 我々は、ジョージAFBの禁断のエリアに入った為 この後エライ目にあってしまったのである。ここは、ワイルド・ウィーズル(対レーダーサイト・対防空ミサイル網破壊任務)を請け負っていた部隊の為 正式の許可なしで撮影することは極めて危険であった。ランディング・ポイントで目立たぬように撮っていれば問題ないが、タキシング/ピン抜きポイントに許可無く近づくと大目玉を食った。ご覧のように200mmレンズで 機首アップである。こんな絶好なポイントは無い!しかも柵は膝下ぐらいの高さであった為 何も邪魔するもの無くF-105/F-4E/Gの転がりが撮れるのである。そんな事情を知らない我々は、真っ先にF-4の音のするこのポイントで撮影していた、中の兵士も笑顔で迎えてくれていた。(そんなつもりでいた)F-4が離陸し F-105Gが続々と帰ってきたので 降りのポイントに移動した時である・・ピーポピーポ・・キュルルルル 振り返ると基地内からセチュリティが追いかけてきた。我々は直ぐ下車したが、何と2人のセキュリティ M-16の弾倉に銃弾を込め こちらに銃口を向けてるでないの!!!「こら!危ないだろう!」等と言っている余裕も無く 必死で彼らのところまで行き 「我々は逃げていたのではなく撮影場所を変えただけ」と説明 「直ぐ立ち去れ 2度と近づくな!」と恫喝され退散と相成った。(うぁ〜怖かった)
NEXT
click here
HOME
ネットを通じビル・スピンドル氏から送っていただいたネリス空軍基地でのエプロンにおけるF-4Eの列線、F-4E(73-1164)は1979年にスイモワ・ジョンソンの4th TFWから移動してきた機体で 私の写真でも着陸のものを掲載しているが 黄黒のチェックが書きいれられた。
1980年の時点で 徐々に導入され始めていたオーバーラル・スキームの機体、F-4E(74-0655)、機体の下面まで迷彩に包み込んだファントムは、迫力が出ている。しかも 迷彩色の組み合わせも グリーンを多く使うことにより暗い塗装になっている。左翼の付け根には、コンバット・カメラが付いており DACTの状況を記録できるようになっている。
5
Sharkmouth Phantom of 388TFW